『孔乙己』魯迅

(印象に残った場面とその理由)

『孔乙己』が、茴香豆の茴の字の書き方を訊く場面―まず「読んだことがある…それじゃわたしが試験をしてやろう。茴香豆の茴の字は、どう書くかね」と訊き、『わたし』が質問に面倒そうにも答えるとさらに熱心に「そうだそうだ。……回の字には四通りの書き方があるが、知っているかね」と―が2つの理由で印象に残った。

1つ目に、孔乙己の持っていたプライドを象徴している場面だと思うから。
彼は、結局科挙の試験に合格できず、ずるずると零落していってしまうわけだが、その中でも、科挙を目指していたことを誇りにして生きていたように思う。だからこそ、盗みをして周囲の人間にからかわれても笑い飛ばしていられたのではないか。
人がどう生きるかということは心持しだいである。否、脚を折られて、盗みをしてすらも生きていけなくなってしまうまでは、人の生き方は心持しだいである。

2つ目に、“一般庶民は陸陸漢字を読み書きできず、漢字を読み書きできるのは科挙に合格した一部のエリートだけだった”という当時(或いはそれより少し前かもしれないが)の時代背景が見て取れたから。かつての日本同様に、中国でも漢字は身分制度を維持するためのツールの1つだったと思う。