『一九八四年』オーウェル


The New York TimesやThe Washington Postのコラムを読んでゐると,しばしば「オーウェル的な」(Orwelian)とか,「偉大なる兄弟」(Big Brother)とかいふ表現にお目にかかることがある。オーウェルの名(や,この小説)は,日本ではさほど知られてゐないやうな気がするが,アメリカではそこそこ知られているやうだ。

『1984年』は,世界が3つの国家により分割統治された近未来を想定し,その一つの全体主義体制の国家に生きる人の姿を描く,一種のSF作品。そこでは,人々は常にテレスクリーン――監視カメラとテレビが合わさつたもの,と想像する――を通じて政府に監視されており,体制に反する思想の持ち主は(さういふ思想が顕れた時点で)密かに蒸発させられてしまう。

さて,この『1984年』の中で描かれる構図。既に他所でも指摘されてゐる通り,Facebookmixi等のSNSの在り方と幾らか似てゐるやうにも思へる。「自分から情報を公開してゐるのであつて,決して監視されてゐるのではない」と言えば,さうかもしれないが…。